過去ツイからです。こちらからの一文を固定ツイートにしています。
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しばらく前に、「エースをねらえ」のある一節を読むと、羽生選手を思い出す、というツイが回ってきていた。私は、バラ1やスワンを見ると、バレエ漫画の古典「アラベスク」の一節を思い出す。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
「この沈黙の舞台で彼女は 本来の姿を見出した・・・蒼ざめて透明な 真のロマンチックバレエを!」と主人公の師が述懐するクライマックス・シーンである。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
このシーンで主人公が「本来の自分」を世界に提示したように、バラ1で彼は、自分が本質的にどういうスケーターなのか、その資質を十二分に世界に示した。優雅。繊細。清冽。激情。卓越したテクニックと秀逸な音楽表現。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
彼のマニフェストは正しく評価され、世界の解説者は最大限の賛辞を送った。曰く、「これぞショパン」「これこそフィギュアスケート」「ダイヤモンドの原石が経験ある手で磨かれている」「フィギュアスケートの神」
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
ちなみに、当時彼に寄せられた言葉で私が一番好きなのは、「彼の美しい魂を私たちに見せている」というものだ(これはオペラ座の演技に対してのものだったかな?)。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
羽生選手の演技、特にバラ1やスワンを見ると、橋本治の言葉が心に響く。孤独のうちに営々と養われた力こそが人の心を打つ。人との深いつながりをもたらすのは、逆説的だが孤独なのだ。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
羽生結弦の演技は、未来においてフィギュアスケートの「古典」になるだろう。新奇なものは目新しさが薄れれば忘れられる。古典は、触れる度に発見があり、喜びがあり、楽しみと学びがある。彼の演技はそういう深みに達している。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
橋本治の「アラベスク」評のように、優れた批評は対象への理解を深め、興味をかきたて、あわせて読むことで楽しみが倍増するものだ。日本のフィギュアスケート評、特に商業的に流通しているものにはそういうものが少ないのを残念に思う。
— elanvital (@evergreenjade) January 19, 2017
自分でこのスレッドの一部をRTしたけれど、最後の部分だけは1年余り経って少し状況が変わり、高山真さんの著書などかなり本格的なものが商業ベースに乗るようになってきた。BBマガジン社さんの雑誌など、資料的価値の高い良雑誌も継続して出ている。ただでもまだ始まったばかりかな…。
— elanvital (@evergreenjade) February 4, 2018